読書感想文7

「茂木健一郎の脳科学講義」(茂木健一郎)

課長からの一冊。
茂木健一郎てあの人でしょ、こないだ買ったあのすんげーつまんねー本書いた人。貸してくれるって言うけど正直いらねーよ。

…と思っていましたが、いやごめん面白かったです。
インタビュー形式で話が進み、しかも一章に一テーマで短く話がまとまっているので非常に読みやすい。やはり口語っていうのはすっと頭に入ります。

私はこの人に全然興味がなかったんですが、クオリアというものの認知度と言うか知名度を、一所懸命上げようとしている人なんでしょうかね。

昨年読んだ「生命の形式−同一性と時間」(池田清彦)もこれと似たテーマを扱っていたと思うのですが、あちらよりもライトな文体、かつ入門を意識した内容 (これのために素人をインタビュアーにしている様子)なので、すんなり頭に入ってくれました。良質のフックだと思います。

面白かったエピソードをひとつ。
鏡を見て、そこに移っているのが自分だとわかる動物は、よっつ。
人間、チンパンジー、オランウータン、イルカ。
ゴリラはアイコンタクトをしないため、鏡を注視することができず、ために鏡に映っているのが自分だと理解することができない。
…のだそうです。(2009/2/15)

「言語学フォーエバー!」(千野栄一)

学生時代に絶対ぶつかってるはずなのに、まったく記憶にない…。
著作を眺めた感じ、この人の論がどうこうというタイプの人ではないようです。うむ、ならまあいいか。

わりとライトな読み物風ではありますが、あくまで言語学のお勉強をしている人にとってライト、というだけで、まったくの門外漢にはおすすめできない感じです。
うすらぼんやりした記憶に頼って読んだものの、用語の意味がさっぱり思い出せず、結果ぼやっとしかわからなかった章もありました。

何でこんなに扱っている話題がポンポン飛ぶんだ、と思っていたら、過去の著作からのえり抜きだったようです。どうりで。

楽しい話題やら興味深い雑学だけを読みたいという人は、それに適した著作を探した方がよさそう。(2009/2/10)

「歴史的類比の思想」(田川建三)

時期的には「イエスという男」より早く出たもの。三十年前に書かれているとは、しかしながら思えません。田川建三はやっぱり昔っからずーっと田川建三だったのね、と思わせてくれる一冊。

四本の文章(うち一本は、講演内容をテキストに起こしたもの)がおさめられています。原始キリスト今日が発展していった時代背景を、1970年代のアフリカの状況と比較して描き、さらに当時のアフリカが抱えていた問題にまで踏み込んだ一本目。講演書き起こしはウェーバー研究者によるマルクスの矮小化について、さらに吉本隆明の「マチウ書試論」評も。…あと一本は何だっけな…。

読んでいると本当に、この人の知識はどこまで広く深いのかと思います。いや、私が物知らずなのは勿論ありますから、そこはさっ引いて考えないといけないにしても。 いろんな学問が、それぞれに独立したジャンルとして人を抱えこんでいますが、この人のように、いろんなジャンルをまたいで物事を俯瞰できる学者というのが、一体どれくらいいるんだろうかと思いました。(2009/2/10)

「人間臨終図巻(全3巻)」(山田風太郎)

タイトルどおり、古今東西の有名人の死に様をかき集めた本。
死亡年齢順に並んでおり、さらに巻末には索引もついていてちょっとした事典にもなりそう。

当然と言うべきか、各人について深く研究しているわけではないので、信憑性の低い俗説が採用されているケースも多い。あとは、年齢順という縛りが大きいように思う。若くして死んだ人というのは、それだけで非常に劇的。それもあって一巻は非常にバラエティに富んだ顔ぶれになっているんですが、三巻あたり、今で言う老衰、と呼べる年齢で死んだ人になってくると、時代が当然下がってきます。頭から読んでいくと、後半はかなりダレます。

もう一点、明治から昭和にかけての軍人、政治家が取り上げられる数が多い印象を受けました。しかしこれは、著者が戦中に青春時代を過ごしたことを考えると当然なのかも知れません。「戦中不戦派日記」をあわせて読むと良いかも。(2009/2/3)

「死刑執行人サンソン」(安達正勝)

帰省のための新幹線で読む本を、と駅で購入。腰巻きに荒木飛呂彦(すごい一発で出た)の絵があったので手に取ったんですが、いや大正解、非常に楽しかったです。

ルイ十六世の首を刎ねたと副題にあるとおり、フランスで仕事をしていた死刑執行人のお話。確かベルばらなんかだとギロチン役人てもさっとした感じに描かれていた気がするんですが、実際の死刑執行人と言うのは副業で医者をやってるようなインテリお金持ちだったそうです。へー。いや、まあこのサンソンさんちというのはパリの死刑執行人を代々やってるところで、特に規模の大きなところだったからというのもあるようではありますが。でも、「いろんな方法で、しかも一発で罪人を殺すため医学にも精通しなければならなかった」ってのはなるほどの説得力。
そのかわり差別が凄かったようですが、それはおいといて。

フランス革命と言うとどうしても華やかに活動した人々の側に立った読み物が多いのですが、ここに描かれているのはそれをただひたすら傍観せざるを得なかった人の姿。こういう目で革命を見つめていた人もいるのだなと、非常に新鮮な気持ちでフランス革命を読むことができました。

2008年最後の読書、これを選んで正解でした。(2008/1/10)

「グラスホッパー」(伊坂幸太郎)

新年一発目、正月の帰省中に妹から借りました。
伊坂幸太郎はわりと好きではあるものの、何となく自分では手を出さずにいる作家です。何となくラノベくさいと言うか、キャラの造形だけで引っ張ってる部分がなきにしもあらず、なので。

で、今回のこれはそれの典型。
鯨、蝉、槿と名付けられた殺し屋さんたちが次々と出てきます。うん良い、けっこう萌えるよこの感じ!
…と思うんですが、主人公がどうにもさえない上、彼の亡き妻がもうなんて言うかオタク…?
「キミはナントカカントカなんだぞ」
みたいな喋り方をするのです、主人公の記憶の中で。また言うことがいちいち中二病くさいと言うか…。彼女自身がそのような言動を取る理由付けもないため、読んでいてかゆいことこの上ない。

お話は復讐譚とでも言うのでしょうか、平凡な主人公が妻を殺され、その敵を討つために裏社会に入り…みたいな感じ。とは言え結局主人公は悪事に手を染めることなく(いや染めてんだけど、少なくともそれを実感するには至っていない、勿論さほど反省もしていない)お話は終了。
なんだこの蚊帳の外感。

途中まではけっこう楽しく読めたんですが、どうも風呂敷をたたみ損ねたなと言う感じです。登場人物それぞれの処遇には納得できましたが、やっぱり平凡な主人公が水を差していたと言うか、主人公の存在のせいで逆に他の登場人物たちの存在感が非常に嘘くさくなっていたと言うか。

別の作品をこれ以上読む気はなくなってしまいました。残念。
と言うかこの人は女性キャラ苦手なのか…?(2009/1/10)

「桃−もうひとつのツ、イ、ラ、ク」(姫野カオルコ)

「ツ、イ、ラ、ク」の番外編。あの物語に出てきたあの人は実は…とか、その人は今… という短編がいくつか。ツイラク本編も非常に面白かったのに、時間が経っていたせいで(と言っても一月ほどなんですが)細かいところを忘れてしまい、そのおかげでちょっと悔しい思いをしました。
並べて本を広げたらまた違う発見があったんだろうなあ。(2008/10/24)

「バカさゆえ…。」(姫野カオルコ)

古今東西、…でもないな。ちょいと昔の有名な漫画やテレビドラマのパロディ。
奥様は魔女、魔法使いサリー、明日のジョー、アタックナンバーワン、等々。
最初の奥様は魔女がわりとスタンダードな感じで入ったからと油断していたら、続きがえらいことになっていました。
生憎私が元ネタを知っているのは魔法使いサリーだけだったのですが(他はダイジェストすら見たことがなく、テレビで場面の切れ端を見ただけ)、知らなくとも十分楽しめました。…でもまるっきり知らない人にはきっと、半分くらいしか楽しくないんだろう、なー。

アタックナンバーワンのネタが私は一番好きです。 って言うか、原作にそんな重い場面があったとは…。奥深いな、昔の少女漫画は。(2008/10/16)

「よるねこ」(姫野カオルコ)

全話に猫がちらりと出てくるホラー短編集。
通常のホラーもあれば、「そりゃホラーだね」というときのホラーもあり、怖い話を各種取りそろえました、という一冊。
いくつか印象に残ったお話がありますが、一番怖かったのはあれだ、…ある女性の告白文調の一編。これ、純粋にホラーとして怖い。
洒落怖っぽい恐怖感(体験談形式なので)です、が、やはりプロ、めちゃくちゃ上手い!とも思います。さすが。

「H(アッシュ)」(姫野カオルコ)

テーマはエロ、な短編集。
これすごいな、全部にちゃーんと濡れ場が入ってる。ところで濡れ場って何?と思って調べてみたら、もとは歌舞伎の用語である「濡れ事」から来ているそうです。荒事、濡れ事、か。なるほど。
で、濡れ事って何、と思ったら「男女の情事を描く」じゃあ情事って何よ、「男女間の恋愛に関する事柄」(以上広辞苑から適当に抜粋)って。
わかるようなわからんような、でした。

話はそれましたが、恋愛とは違う、性交にスポットをあてた短編集です。もちろん姫野節は炸裂しています。(2008/10/16)

「ちがうもん」(姫野カオルコ)

テーマは記憶、だそうです。
多分引っかかる人は引っかかるんだろうな、心に、何かが。
私はこういう、息苦しい子供時代の記憶モノが好きではないので、読んでいても特別楽しくもなく感心もせず、でした。(2008/10/14)

「愛はひとり」(姫野カオルコ)

ビジュアルナントカ、とか何とか。よくわからない、んですが、写真がはさまっていてツラツラとモノローグが並んでいます。さらっと読めてしまったので感想もさらり。と言うか別に感想もないな…。(2008/10/14)

「ひと呼んでミツコ」(姫野カオルコ)

デビュー作はチェックすべし、ということでこれも購入。
出たばっかりの頃よく名前を聞いたなあ。あと、これ何度か立ち読みしたことがあるような…。
記憶にある、立ち読みしていた本屋の映像が相当古いんですが多分間違いではなさそう。当時は手にとっても読まなかったんだなー、と思うとしみじみ、本とはご縁のものなのだなあと思います。

で、中身。
姫野カオルコのエッセンスがぎっしり詰まっている、という感じです。ちらばっているさまざまな要素がそれぞれに洗練されて、後の作品に続いています。
…と考えると、やはり本はデビュー作から読むのが正しいのかな…。しかしこれを最初に読んでいたら、他を買ったかどうか。
このへんも縁か。(2008/10/14)

「受難」(姫野カオルコ)

ムッハーこれもおもろかった…!
女性器に人面瘡ができた主人公と、その人面瘡のお話、……で良いのかな。わからぬ。
カッ飛んだ設定ながら、中身はいつもどおりの姫野カオルコ。但しラストが違う、ような気がします。ここまでスカッとしたラストって、「ツ、イ、ラ、ク」以来だな…いや、ツイラクの方が後なのか。
古賀さんのキャラが良いです、とても。(2008/10/14)

「蕎麦屋の恋」(姫野カオルコ)

短編集。
表題作よりも、真ん中へんに載ってたバイの男の子のお話に萌えました。ああこれが萌えか。(2008/10/14)

「終業式」(姫野カオルコ)

登場人物が交わしたり書い(ただけで捨て)たりした手紙類を集め、それによって物語が進んでいくという形式。書簡物とか言ったりするのかな。ただ往来ではなく、色々な人物のやりとりが入ります。

高校生同士の他愛のない授業中のメモのやりとりから、大学に入っての手紙葉書、FAXのやりとり等々。まだ携帯のメールがなかった頃のお話です。

登場人物を覚えるまでがちょっと大変ということ、そうは言ってもきちんと読み手に物語を追ってもらわないといけないせいで、手紙文はわりと不自然です。気にならなくなるのかと思いきや気になるのが何とも。
手紙だけで、と書きつつ、実際には投函しなかった手紙までこっそりのせてみたり。
これはこれでありなのだろうし、小説の手法としてはこれでも十二分に厳しい制約なんだろうけど、痛し痒しという感を拭いきれませんでした。あとはわざとらしさ。

総まとめとしては、「『ツ、イ、ラ、ク』の習作」という感じ。たぶん、これが全て。(2008/10/10)

「整形美女」(姫野カオルコ)

…どうでもいいけどエーットックは「しこめ」が変換できないんだな…おつむてんてん。

美女が醜女に、醜女が美女に整形、と、一言で言うとそんな感じのお話。
地の文で語られるあれこれは、全てエッセイからの流用なので特に目新しい点はなし。
お話も割合説教臭い。「大事なのは中身、心映え。それが美しければ自ずと外面も磨かれてゆくのです」みたいな。

読後感は清々しいので読んで損ということはありません。
…ああこれ、エッセイの前に読んでたらもっと面白かったのかも知れないなあ。(2008/10/7)


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百shebeem@infoseek.jp