読書感想文2

「ノルウェイの森」(村上春樹)

食わず嫌いをなおそう、と今まで避けに避けていた村上春樹にようやく手を出した。
入るならやっぱり一番名前が売れてるものから、というわけで、「そういや小学生の頃売れてたんだっけ、これ」と感慨にふけりつつ購入。

いや面白かった。
もう冒頭から楽しくて楽しくて、次々と出てくる名文句全てに付箋をつけたくなりました。
冒頭の「ちょっと哀しくなっただけだから」なんてもう最高。今度から体調聞かれたら絶対こう答えよう。決めた。今年はこの路線で行く。

内容はと言うと、まあ、なんかぐだぐだなせいでモテまくりな学生時代を送った男がその後もぐだぐだ生きてきましたっていうそれだけの話なんですが、なんかもう、気合だけで読まされます、講談社文庫二冊分。

おいちゃんの青春語りは誰にも止められない。

この人の特徴は文体にある、というのだけはぼんやり前知識としてあったんですが、生憎そこまで強烈なものは感じませんでした。後発品を大量に読んでいるせいだよと言われそうですが、逆に言うと後発品をちょっと知っていたらさほど奇異に感じることもない、つまり圧倒的な差は存在しないってことなんでは?

そんなことより私が一番「村上春樹スゲー」と思ったのは、エロシーンのタイミング。うまい!
あ、ちょっとダレてきたな、と思ったら「はい次直子さんフェラ入りまーす!」みたいな絶妙さで、毎回微妙にシチュエーションを変えてエロが入る。

これは絶対来るなと思っていたら案の定最後もややマニアックなプレイでシメ。
やるな村上春樹。

あとこの人の一番いいところは、「さっぱりわけがわからなくても字面を追いかけただけでなんだかスタイリッシュな気分にさせてくれる素敵な名詞リスト」ですね!(2007/1/4)

「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)

2007年初読書。幸先の良いスタートが切れました。ありがとうカズオさん。知らない人だけど。
たぶん、アレを読んでいなかったらもっと驚いていただろうなー、というのが、読んでいる最中からずっと思っていたこと。

というわけで、レビュー等々で激賞される理由の半分であるところの「設定」部分にはまったく心は動かなかった。それどころか、「え、どっちが先だよこれ」と発行年月日を確認してしまったくらい。

が、残り半分にはもろ手を挙げて賛成。
「抑制の効いた文体で」淡々と綴られる物語。その冷静な視線と語り口とが、スピルバーグあたりが映画化したらものっそいお涙頂戴ヒューマンドラマになるんだろうなあ、という筋書きを、そうはさせずにきれいに狙ったところへ落としこんでいる。

映像化されたら観てみたい、と言うか、この小説を読んでいると、さまざまな風景が浮かんでくる。ヘールシャム、マリ・クロードの家、それからノーフォーク。
静かで乾いた空気の匂いまで感じ取れそうな描写、これは訳者の力も大きいなあ。違和感を覚えることの多い翻訳一人称モノで、ここまで自然な、まるで日本人作家が最初から日本語で書いたようなテキストが読めたってだけでも感動。土屋政雄か。訳者買いってのもアリだな。

さて、さっきからアレアレ言ってるアレ、もうタイトル書いただけで知ってる人にはネタバレなので、反転。清水玲子の「輝夜姫」でした。(2007/1/4)

「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング)

読書の趣味が非常に近い友人が、ひところ流行ったブックバトンで「本当に怖い!」と言っていたので気になり手にとった作品。実際は、何度か本屋で見かけるたびに手を取るものの、なんとなく気がすすまずに置いて…を二年ほど繰り返していたのだが、読了し、ああ、本には読み頃があるから、自分の勘に逆らわずにいて正解だった、と心底思った。

時代背景をきっちり把握しているとおそらくもっと楽しめたのだと思うのだが、予備知識なし、文庫の裏にあるあらすじも見ずにスタート。
子供らを乗せた飛行機が墜落し、無人島に漂着。彼らは生き残るためにグループを作り、リーダーを決めて生活を始める…
とか書くとちょっとしたときめき冒険譚だが、実際にはそんなもんじゃない。

子供というのが、大人以上にしたたかで狡猾で、そしてばかなんだということを、ここまでスッパリ描ききったお話を、私は他に知らない。

物語は読み手の予想通りに展開し、タイトルの意味が明かされ、そして衝撃の結末まで一気に進んでいく。

読みながら、「ラスト、こうなったらいいけど絶対ならないだろうな…」と思っていたら、まさにその「絶対ありえないラスト」に着地したことに、何より驚いた。
星をつけるならば迷わず五つだが、一つがタイトル、残り四つは全部、あのラストにつけたい。それくらいショックだった。(2007/1/3)

「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)

yonda?狙いで新潮文庫をチョイス。
非常にどうでもいい話ですが、こういう、「国語の時間に作者と作品名を覚えさせられる名作」って、ほんと悲惨だ。
と言うか、そんな教育をしてしまう日本の学校が悲惨。そこでモノを教えられてしまう生徒が悲惨。
全部自分自身のことです。

「文学史の時間に教えられた作品ってきっとつまらない」という先入観を捨てよう、ということで、社会人になってからこっち、特に読みたいものがないときは、いわゆる「古典の名作」を読むようにしている。ちなみにこのとき(2006年夏)はロシアがマイブームで、「アンナ・カレーニナ」あたりもこのときに読んだ。

物語の最初に、いきなり「これから書くのはこれこれこういう構成のこんな話です」と前説がある。
ふむふむ面白そう。んで?と、読み始めたら一巻の終わり、最後までぐいぐいと引っ張られてあっという間に読み終えてしまう。

…で、気付く。
「えっこれ未完…」

文学史を真面目にやっていなかった自分を心から恨んだ瞬間。

筋書きはどこへ行っても簡単に見られるから書きませんが、本当に劇的な物語です。フョードルの死、スメルジャコフとイワンのそれに関する会話等々、流行りもののヘタなミステリより断然面白い!
読み終えたとき、思わず「生き返れ…」と呟いてしまった。本当に面白いんだけど、それだけに人に勧めづらいという切ない一品。(2007/1/3)

「ハンニバル」(トマス・ハリス)

レクター博士の出てくる作品は、実を言うとこれと「羊たちの沈黙」しか読んでいない。
なので、ハマリ度の低い人間がどうこう言って良いものやら迷うのだが、とりあえず私はクラリスが好きだったので、とってもとってもがっかりした。

多分にもれず、ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの映画から入って原作(の、翻訳版)を読んだので、あの二人の、どこか恋愛めいた色合いすらある壮絶な追いかけっこが大好き。(おそらく、クラリスが男性だったら、私はこの作品をここまで好きにはならなかったと思う。)このお話も、前半はその追いかけっこが延々と繰り広げられていて、読んでいてまさに手に汗握る展開。

これが、後半思い切りひっくり返される。
読み進めていくうち、クラリスとレクターが、とてもよく似た心の傷を持ち、癒されないそれを抱えたまま生きているのだということがわかる。うん、ここまでは、…こういう言い方は不適切かも知れないが、非常に心ときめく展開。

が。
この二人の傷が、まさかあんな形で癒されてしまうとは!

それは本当に傷が癒えたと言えるのか?
確かに、あの二人は幸せになれたのだろう。お互い以上に自分を理解してくれる相手は、きっと存在しない。
でも、完璧に理解しあえる存在とふたりきりの閉ざされた世界というのは、果たしてそんなに素晴らしいものなんだろうか。

私はそうとは思えない…が、これはもしかすると、そんな相手にめぐり合えることなど決してないのだと知っている者の、やっかみなのかも知れない。

ちなみに、リドリー・スコット版「ハンニバル」は、ラストが大幅に書き換えられている。ジョディ・フォスターは原作を読んでオファーを蹴ったそう(当時大騒動になったので、映画雑誌で何度も取りざたされ、私もいくつかのインタビュー記事を読んだ)だが、リドリー・スコット版の脚本を見ていたら…と思わずにいられない。(2007/1/3)

「宗教批判をめぐる・上」(田川建三)

下巻も読みましたが、直後の読書メモが残っていないので、残っていた分だけ。もちろん下巻も刺激的で非常に楽しかった。

カラマーゾフと並行で読んでた一冊。下巻は夏発売ということですが、まとまりを持った文章が何本か収録されているのでこれだけでも十分です。
しかし松子にも出てきたし、最近どうもキリスト教づいてるな。

二十数年前の本が今回新書になって再発行された、というものなのですが、まったく新鮮味が失われていません。この人の本はいつもそうだけれど、不思議なくらいに今の世相にぴったり来ます。
古典、と呼ばれて読みつがれる書物があるのは、それらが、時代が変わっても変わらぬ部分をするどくとらえて描いているからだ、というのがわかる気がします。

で、今回この本で一番おもしろかったのは、遠藤周作の二作品の書評。
「イエスの生涯」と「キリストの誕生」。
読んでみようかと思いました。

学問的なつっこみも楽しいんですが、「自己嫌悪」についての一連の文が特に印象に残りました。

「…普通、自己嫌悪はまさに自己嫌悪であって、そのことに自分でふれたくないような点が自分の中にまつわりついているから自己嫌悪するのである。だから人は、自己嫌悪していることにはふれたがらない。(略)こんなに嬉しそうに自慢げに語られる自己嫌悪が自己嫌悪であるはずがない。」

「山月記」をひさびさに読み返したくなりました。

山田風太郎「戦中派不戦日記」(講談社文庫)

昭和二十年、一年分の山田青年の日記。 なんでこの青年がああいう話を書く人になったのか不思議でたまらん…

史料としても使えるのではないか、と思える内容。
食い物がどれだけでいくらしたとか、街の様子がどんなだとか。

東京で働くようになってて良かったなと思ったのが、知っている地名がたくさん出てくること。今の姿を知っていると、この日記に描かれている様子など想像もできない。本当にそんな時代があったのか、と思う。
そういえば私の大伯母から難波が更地みたいになった空襲のことなんかを聞いたときもにわかには信じがたかった。

それにしてもおそろしいのが八月の、六日と九日の記事だ。(2006/10/4)


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百shebeem@infoseek.jp