中有の旅の空には誰か伴ふべき。生ぜし折も一人来りき。去りてゆかん折もまたしかなり。相逢ふ者は必ず別れ、生ずるものは死に必ず至る。桃花装ひいみじといへども、つひには根にかへる。紅葉は千入の色を尽くして盛りありといへども、風を待ちて秋の色久しからず。名残を慕ふは一旦の情なり。
(後深草院二条「とはずがたり」)
自由が好きで、冒険が好きで、力が欲しくて、だけど自分より大きな力には臆病で、女の子が好きで、甘えん坊で、独りではいられないくらい寂しい時があるくせに拘束すると怒ります。
(友人モリユの「ハウルの動く城」感想)
軍隊というのは、 一般の人間にとっては、恐ろしいものです。
それがそこに存在しているというだけで、まことに恐ろしいものです。
(田川建三)
「決心」の速さは、決心の正しさに匹敵するくらい
重要だなあ。じっくり時間をかけた決心はやっかいだ。そもそも時間がかかったってことは、なんか疑わしい要素があったってことだし、だからこそ結局あとで、考え直さねばいけないことになりやすい。しかも、時間かけて決心したもんだから、考え直さなければいけない局面にきても、なかなか考え直せないんだよね。
(西田シャトナー)
薔薇科の植物は動物性の肥料を好む。
信念とは鳥が夜明け前に暗闇の中で察知する光である。
(ラヴィーンドラナート・タゴール)
BATMAN begins at about an hour later.
三件以上の殺人事件を犯し、一件一件の間に感情的冷却期間のあるもの
(ロバート・K・レスラー)
短期間(主に一日以内)で殺害した人数が4人以上であること
これは、世界中のすべての人間は、「知り合いの知り合い」というように人を介して、6人以内で繋がっているという意味です。
(ぶたくさの庭の、ここ)
世の中に人の来るこそ嬉しけれとは言うもののお前ではなし
世の中に人の来るこそうるさけれとは言うもののお前ではなし
進化の性質上、一度都合で捨てたものは戻らない。
「常識」とは、圧倒的多数の者が是とした見識のことだろうね。そこには善も悪も関係ない。数のパワーがあるだけだ。だとしたら、例えば「最近の若者には常識がない」という意見は、年寄りのたわごとでしかない。何かを正したければ、何かに意見したければ、常識なんかを後ろ盾にせず、己が正しいと思う信念を燃料にして言葉を吐こう。
(西田シャトナー)
絵とか、文とか数式とかそういうものって、つまり好きなものをポケットに入れておくための方法だ。
(木崎秋見/この方は既にサイトを閉鎖されています)
普通、自己嫌悪はまさに自己嫌悪であって、そのことに自分でふれたくないような点が自分の中にまつわりついているから自己嫌悪するのである。だから人は、自己嫌悪していることにはふれたがらない。(略)こんなに嬉しそうに自慢げに語られる自己嫌悪が自己嫌悪であるはずがない。(田川建三)
一般的に言って、大部分の犯罪は、その犯行の瞬間においては (あるいは、そこに到り着く過程においては)、その人物は是非善悪の判断を見失ってしまっているからこそ、常軌を逸した犯罪を犯すことができるのではないでしょうか。
偶発的な、事故みたいな出来事を別とすると、大部分の犯罪はそういうことなのだと思います。
問題は、ですから、そういう時に (あるいは汚職議員や官僚の皆さんのように、ずっと長いことかかって)、是非善悪を判断する能力を失ってしまうような、そういう生き方をしてきたことに対して、責任が問われるのではないでしょうか。(田川建三)
観客は、つらくて悲しいシーンではなく、どん底で幸せだった頃のことを思い出すシーンで泣く
人間が一番思い出しにくい(アタマで再現しにくい)感覚は、嗅覚なんだそうです
妄想に必要なのは設定(友人)
机やらパソコンに付箋をいっぱいつけてるやつは仕事ができない(友人)
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。(ダーウィン)
海上保安庁の船にはたいそう立派な備品がついてて、たとえば数百万するような望遠鏡なんていう、お前ら何をのぞいてんだと言いたくなるようなものがあるんだそうですけど、彼らの考え方の基本は、船をさかさまにしたとき落っこちるものは消耗品なんだそうです。
「去年とか今年とかに結婚した夫婦が、金がなくてどこへもいけないものだから友人を自宅に呼ぶんだよ」(友人モリユ)
警視総監と警察庁長官は一緒に食事をしてはいけない。
「自分の恋愛の話ばかりする」
なんでも、「本能に近い部分の話しかしない相手ってのは、要するに『はらへったー』しか言わないのと同じだから」なんだとか。
きゃんきゃん吠えたてる犬がうるさいからと言って、その犬を殺したりはしないんだよ。(ヴェスパシアヌス)
Elle est retrouve'r!
Quoi?
L'E'ternite'.
C'est la mer me^le'e au soleil!
(見つかったぞ!何が?永遠が。陽と溶け合った海原が)(ランボー/この訳は中島敦「環礁」より)
天国の1歩手前に「虹の橋」と呼ばれる場所がある。
地上に居る誰かに愛された動物は死ぬとその「虹の橋」へ行く。そこは丘のある草原が広がり動物たちは他の皆と一緒に走ったり、遊んだりする事ができる。
沢山の食べ物と水そしてお日様の光が溢れるその場所で暖かく心地よく過ごしている。
病気だったり、年老いた動物たちはここに来て健康と活力を取り戻し、傷ついたり障害を持つ身体になった動物たちも元どおりの丈夫な身体を取り戻す。
そう、過ぎ去った日の夢の中でのように・・・。
動物たちは幸せに暮らしているけど、たった一つだけ不満がある。
自分たちにとって「特別な誰か」が、「後に残してきた誰か」が居ないのを寂しいと感じているから。
動物たちは皆と遊んで時を過ごしている。
でも遂にある日1匹の仲間が足を止めて遠くに目を向けた。
その瞳はキラキラと輝き、身体は堪りかねたように小刻みに震えだす。
突然、彼は皆から離れて、緑の草原を跳ぶように走り始めた。
「あなた」を見つけたのだ。
とうとう出会えたあなた達は抱き合い再会を喜びあう。
もう2度と離れ離れになる事は無い。
喜びのキスがあなたの顔に降りそそぎあなたの両手は愛する友の頭や身体を再び愛撫する。
そしてあなたは信頼に溢れたその瞳をもう1度のぞきこむ。
あなたの人生から長い間姿を消していたが1日たりとも忘れたことのないその瞳を。
それからあなた達は一緒に「虹の橋」を渡るのだ。
(原文:作者不詳)
天国とこの世を結ぶ橋がある。
その橋は様々な色合いをしている事から「虹の橋」と呼ばれている。
「虹の橋」の1歩手前には丘のある草原や青々とした緑あふれる谷がある。
動物達は死ぬとその場所へ行く。そこにはいつも沢山の食べ物と水があり、毎日が春のように暖かな気候だ。
歳をとり身体が弱っていたものはここへ来てもとの若さを取り戻し、身体が不自由になっていたものは元どおりの姿になる。
そして1日中一緒に遊んだり走ったりして過ごしている。
橋の傍には様子が異なるものも居る。
飢え、苦しみ、疲れ果て誰にも愛されなかった動物たちだ。
他の動物たちが1匹、又1匹とそれぞれの「特別な誰か」と一緒に橋を渡るのを物欲しそうに眺めている。
彼らには「特別な誰か」など居ない・・・。
生きている間、そんな人間は誰一人として現れなかったから。
ある日、動物たちが走ったり遊んだりしていると「虹の橋」の袂に誰かが立っているのに気づいた。
彼はそこに繰り広げられている友の再会を物欲しそうに眺めて居る。
地上に居る間、彼は動物と暮らしたことが無かった。
彼は疲れ果て、飢え、苦しみ、誰にも愛されなかったのだ。
そんな彼がポツンと立っていると愛されたことが無い動物が どうして一人ぼっちなのだろうと近づいてくる。不思議なことに愛されたことが 無い動物と愛されたことが無い人間が互いに近づくにつれ奇跡が起こる。
なぜなら、彼らは一緒なるべくして生まれたからだ。
地上では決してめぐり合えなかった「特別な誰かとペット」として。
今、やっと「虹の橋」の袂で彼らの魂は出会い、痛みや悲しみは消え、友は一緒になる。
そして一緒に「虹の橋」を渡り、もう2度と離れ離れになる事は無い・・・。
(原文:作者不詳)