退廃的厭世的、自堕落で怠惰で刹那的でおっそろしく頭が回るがゆえに不幸。
沈むしかない船にそれと知りつつ乗ったまま、優雅に美食。ときとして船が沈むのを早めることに加担してみたりする。
で、そういう自分を鼻で笑う自分というのがどこかにいる。(2004/8/3)
というのを否定する日記を前に書いたんですが、ちょっと訂正をしよう。
こと自分のことについてはアレだけど、痛い目たくさん見てつらい思いをいっぱいした人は、他の人がしんどい思いをしてるときに、その痛みを想像するのが上手だと思う。
想像するのが上手イコール相手を癒してあげられる、では絶対にないけれど、それでも、「ああ、そんな目にあったのならさぞやつらい思いをしたろうな」と相手のことをおもんぱかることができる、というのはとても大切なことのように思います。
今目の前にいる人がとても傷ついてたり心を痛めてたりしている、ということが想像できるというのは、すごく大切だと思うのです。
別に想像できたからってそれが正解とは限らないわけだし、癒したり慰めたりできるっていう能力に直結するもんでもないけど(大体言葉だのなんだので人を慰めたり癒したりできるなんてのは能力じゃなくてただの運だと思うしな。プロはまた別の面からそういう傷に向き合うみたいだけどよくわかんないからパス)、相手が傷ついてることを察知できる人は少なくとも、傷ついてる人をそれ以上傷つけるような心ないことは言わないと思うので。
と、発音したとき、それぞれの単語の中にある「ざ」というのは、本当は違う音です。
前者は、下の前歯を上の前歯の裏側にあてる。
後者は、下の前歯と硬口蓋(上あごの、硬い部分)に舌先をあてる。
このオトの違いを、きちんと「違う」と聞き取ることのできる人々がいます。アフリカの、どこだったか忘れてしまったんですが、そこの人たち。(たぶん、ほかにもたくさんいると思うんだけど。うろおぼえだけど、アフリカ大陸は全体的にオトの数が多い言語が多かった記憶がある)
彼らがどうしてこの違いを聞き分けることができるかというと、たとえば、
「きざ(ざりがに、というときのざを使う)」と、
「きざ(アメリカざりがに、というのきのざを使う)」
というのが、全然別の意味を持つ単語として存在するからです。
フランス人は「h」のオトが聞こえない、といいますが、あれと同じ。(あと彼らは長音の聞き分けも苦手です)
違う音が、違う音として認識されるためには、「その聞き分けができないと言葉が理解できない」という状況が必要なのです。飼い主が、同じ模様のペットを見分けられるのと似てるかも知れない。
つまり、両者の違いがわかっていないと困ったことになるぞ、という状況じゃなかったら、人間は、それらがどんなに異質であっても、「同じ」として認識してしまうわけです。
同じことって、感情についても言えるんじゃないかと思います。
何かが自分の身におきたとき、どういう反応をするか。
ないですか?
親しい人と大喧嘩をしてものすごく怒って怒りまくって、その場を離れてひとりでゆっくり考えてみたら、「ああ、あのときわたしは、腹が立ったんじゃなくて悲しかったんだ」ってわかったりするときが。
大学のとき、ある先生が「なにかあるとすぐにぶりぶり怒り出す人っていうのは、感情がゆたかなんじゃなくて、単に感情が未分化なだけなんだ」と言ってたんですが、まさにそういう感じ。
いろんな感情を経験して、それらを丁寧に分類する人が、機微というものを理解できるようになるんだと思う。
作家とか詩人とか、言葉をあやつる仕事をする人が非常に繊細な心をもっていると一般にいわれるのは、たぶん、彼らが、わが身に起こったことをいちいちものすごく丁寧に分類して、ぴったりとそれをあらわすことのできる言葉を探したりしているからなんじゃないだろうか。
…で、なんでいきなりこんなこと言い出したかって言うと、昨日電子レンジでパスタゆでるタッパーを溶かしてしまったとき、自分が「なんか台所からやきいものにおいがする」と思ったからなのです。
…やきいものにおい。
コーヒーからやきいものにおいがする、と、はからずもちょっと前の日記にも書いてた。
つまりわたしは、「なにかがやける匂い」を、まじめにかぎわけずに「やきいも」とラベリングして自分の中で片付けてしまってるわけです。なんて雑なんだ。
もうちょっと鼻をきたえないと、そのうち火事とか出しそうだ。(2005/4/9)
あの人は悪い人じゃないし 悪気があるわけでもない。
と、自分に言い聞かせるとき、自分にとってその人は、とても悪い人で、悪気のある人だ。(2005/9/29)
思ったんですけど、人に理解されないこともたしかにさみしいけど、ああ、わたしはこの人を理解できないんだわ、と思うときはもっとさみしい。
いや、他人を理解できるなんて思っちゃいないんだが、あらためて、ああ無理なんだなあと思うとね。(2005/3/4)
ってすごく不思議な言葉だ。
なんでこんな言葉がまかりとおってるのか。
相手に言わねばならないことならば、相手が怒ろうが泣こうが言わねばならんだろうし(言う方にしてみれば、だけど。現実にはそうでない場合が多い)、別に言わなくていいんだけど怒るかなーでも言いたいから言っちゃえ、という気分で言ってるんだったらそれはケンカ売ってるだけです。
怒らないで聞いてねという前に、相手が怒らないような言い回しを考えるべきなんじゃないかね?
ってここまで書いて、たんにこれって「ちょっとあんたにとってはショックなことを発言するぜ」っていう目印なんだなと気づきました。(2005/2/22)
「こんなことしたら嫌われるんじゃないかしら」という恐怖は、「こんなことされたらわたしはその人を嫌いになるわ」の裏返しだと思う。(2004/10/24)
しょせん他人の力になることなんてできないんだとわかっていても、それでもわたしはあなたが心配なのですよという意思表示をすることに意味があるのだということを学んだのはつい最近のことです。(2004/10/20)
「文は読めなくはないんだけど、なんか宅急便の送り状読んでるような気分になる」
と言ったら「それは小説としては致命的だろう!」と言われてしまいました。
そ、そうかな。読めない日本語のほうがわたしはだめかも知れない。
わたしの友人は、面白くない小説のことを、
「疲れてて何も考えたくないときにぼんやり読めるような話なんだけど、読んでるうちにそれすらしんどくなって結局ろくに読み進むことができない」
と言っていました。
それもすごい。(2005/7/1)
きらいなものをきらいというためにきらいでいる必要はないよな。(2005/7/1)
「男性は点で萌え、女性は線に萌える」とは三浦しをんの名言ですが、何年か前の日記に書いた「男がナースだのメイドだのに弱いのは、『面倒を見てくれる人』という記号に萌えてるんじゃないか」というのを思い出しました。(ナース、メイドはお母さん的包容力と家事処理能力、巫女とシスターは処女の象徴なんじゃないか、という日記を以前書いたのです)
じゃあ女が軍服やら警官の制服に弱いのは、「守ってくれる人」という記号に対する萌えなんだろうか。
いやまあどうでもいいんだけど。(2006/6/2)
自称ナントカでほんとにナントカな人にお目にかかったことがない。(2005/7/16)
「わたしばかなんで」と言う人は、本当にばかだ。(2006/6/28)
自称「ものすごく物覚えがいい」人の場合。
だいたい人との会話なんてその場で流れちゃうもんだし、メモでもとってない限り、過去に自分が何を話したかについてなんて、そんなに自信があるもんじゃない。自信満々で「こうだった!」って言われたら、ああそうだったかもなと思ってしまう。
かりにメモをとっていたとか、そのときの会話が自分にとってものすごく印象的だったために覚えていたとしても、目の前にいる人が自信たっぷりに「あのときはこうだった!」って言ったら、修正しないと自分がものすごく困るっていうんじゃない限り、「ああそうだったね」で流してしまう。
…というような経緯で、その人は延々「わたしってすごく物覚えがいいの」と言い続けるんじゃないだろうか。
あと、「わたしってすごく細かいの!」という人も、実は全然細かくなかったりする。その人が細かいのは、自分にとって重要な事項についてのみで、それは別に、他の人だってそうだからだ。
だから「すごく細かい」とわざわざ自分で言う人は、どっちかって言うと、自分がこだわらないことについては、むしろ平均以下の粗雑さを見せたりする。
ちなみに自称大雑把はほんとに大雑把だ。
あれはたんに、自分の注意不足をあらためる気がまるでなくて、そう自称することによって、他人に仕事を押し付けているだけだからだ。
ちなみにわたしは自称大雑把です。いやごめん、気をつけてるつもりなんだけどさー。(2005/8/2)
自分が大嫌いなものの熱狂的ファンを前にしたときに人がとる行動は、半笑いもしくは沈黙である。(2005/7/12)
運動やってて怪我をした57歳のことを、「年寄りがはしゃいでスポーツなんかやるからダメなんだよなァ」と言う52歳。
どっちもどっちなんじゃねーのと思って流したんですが、もしかしてアレか、22歳が27歳を「オバサン」というのと同じか。(2005/7/27)
バトンって、選んだ内容についてもだけど、その書き方にも個性が出るなーと思った。
いつつ!って言われたらかっきり五つだけ書く人と、数無視!好きなもんを好きなだけ書く!って人と、一応絞りながらも「ほんとはアレと迷った」とか「次点はコレ」となしくずしに規定数オーバーしちゃう人と。
ちなみになんでかまわり見てるとともだちは全員かっきり五つタイプだった。おもろいな…
わたしはああいうのって、しぼれないものをあえて五つにしちゃうからいいんだと思うので、追記とかはしないんだけど、一度見た「好きなもんにランクづけなんかできないから全部書く」っていうのもなんかいいなぁと思いました。(2005/7/24)
って聞かれたので、正直に「金持ちで気前がよくてわたしにベタ惚れの男前」と答えたら大爆笑されました。
なんだよー理想っつーから理想言ったのに。(2005/7/21)
手間を惜しむのに結果だけをほしがる人を見るとどうしてこんなにもムラムラ(むかむか+いらいら)するのだろうか。
世の中は等価交換ではなくて、支払った代価に見合うものが必ずしも得られるわけではないけれども、何もしない人は何も手にできないようになっている、のではないかと思う。
ってかそうでないとやっとれん。(2005/7/21)
「すっごい面白い!おすすめー!」と大騒ぎでおすすめしたものに、「え〜イマイチ…」という反応がかえってくるとすさまじくしょぼんです。
しかも微に入り細を穿ちどこがどのように面白くなくてダメダメかということをこんこんと説明された日にゃ、「わかったもう二度とあんたに好きなものを教えたりはしない」という気になりますな!宝物を見せない感じで。
フツーに「うん、わたしはちょっと」とかそういう反応ならいいんだけど、なんでこう、彼らはその作品がいかにだめかというのを語りたがるのだろう。
もしかして感情的じゃないのよというアッピールなのか。そうなのか。ちゃうやんきらいなだけやんツボちゃうだけやん!
もういっそ「わたしあれ好きじゃない」と感情丸出しで言われたほうがマシだね!
言われたら言われたで腹立つんだけどな。(2005/7/20)
化粧ポーチとかメイクボックスの中身の状態って、けっこうストレートにその人の性格が出る。(2005/7/30)
「あなたのためを思うから言わなくちゃいけないこと」なんて、ないと思う。
あるのはただ、「あなたと付き合っていきたいから、わたしがいま言いたいこと」だ。(2005/8/15)
なんで美容院だけあんなにダメなんだろうと考えてて気づいた。
あいつら世間話ばっかしやがるからだ。
わかったよ…!あーすっとした。
化粧品のカウンタでBAさんが話すのは、たとえば製品の効果だったりとかちょっとしたメイクのワザだったりするし、服屋の店員さんが話すのは、服の素材や手入れの方法やおすすめの着まわしだったりするから平気なんだ!
そういや、よくしゃべる美容師さんでも苦手じゃなかったのは、皆プロフェッショナルなことを話す人だった。手入れの方法とか、髪のはえかたとか。
そういうのが聞きたいんだよ。専門家のうんちくって楽しくて大好きだから、それならもう、三時間でも聞けるよ。黙ってろとか思わないよ。ドライヤーかけながら質問してきて、人が必死で答えてるのに「え?え?」とか聞き返されても、プロフェッショナルな内容なんだったら怒らないよ!(2005/8/13)
という人に好きな作家を聞いたら、ずらりとラノベ作家を列挙されてしまい、どんな顔をしたらいいのかわからなくなりました。
いや、いーのよ、ラノベ、けっこうですよ。でもさ。
三十でラノベ読んでる
っていうのと
三十でラノベだけ読んでることを公言する
っていうのの間には、深くて暗い川があるんじゃないかしら。
と、思ったマンデーモーニングブルー。(2005/11/14)
日曜日、アーケードん中歩いててギャー人さんに声かけられました。
「チェケラ!」
ホンマに言うんや!
最近すさみっぱなしの心を、一陣の風が吹き抜けました。寒風でしたが。(2005/11/14)
坂本竜馬になって、西郷隆盛に「頼む、七百円貸してくれ」と頼む夢を見ました。
西郷隆盛はダメっぽいそぶりを見せたものの、「あんたの頼みだしょーがない」と言って七百円貸してくれました。
百円札七枚でした。
時代考証がどうにも中途半端です。
あとなんか最後のほう、田沼意次も出てきてました。どう見ても西田敏行だったけど。(2006/2/6)
身近な人の無責任な信頼の言葉をなにより必要としていたときを覚えている。(2006/4/14)
いいことをする集団だからと言って、同じ集団に属してバカなことをするバカが許されるのではない。
それらはまったく別の次元の問題だ。(2006/6/6)
自称霊感少女が大好きな二大都市と言えば京都と東京なわけですが、あれなんでなんでしょうね、なんで他の土地はだめなんだ。
「都のあった(ある)場所だから…」
奈良は?(2006/6/22)
カテゴライズされてしまう人々をバカにする人に出会ったんだが、枠に入るという努力をしている人だっている。と言うか大抵の人はそうしていると思う。
その努力を、唾棄すべき迎合であるなどと難ずる権利なぞ誰が持つのか。
それは迎合ではなく、ともすれば自儘に走りそうになる己を律し、他者と良好な関係を築こうとする強い意志だ。(2006/6/17)
誰かを殴る(比喩ではなくほんとうに。拳でもってやることね)のって、相手を傷つけてやろうという意図もあるけど、自分と相手との空間的距離を広げたい、というのもまじってるんじゃないかとふと思いました。
ただの思いつき。(2006/6/17)
「残業なんかしないでさっさと帰って欲しいよ。仕事残していっても俺がやっとくし。子供がうちにいるのに日付変わるまで仕事とかありえねーよ」
つまりお前はあくまで子育ては女だけでやるもんだと思ってんだな。
あーすっきりした。
三日くらい前に職場の男性が言ってて、その他の発言だのなんだのをあわせても、彼は自分のことを「とってもフェミ」みたいに考えているらしいことがわかったんですが、どーしてもなんかすっきりしねぇ!
とここんとこ理由をずっと考えていたのです。(2006/6/17)
負の印象を持つ言葉でもって自らを形容するとき、その人の心の中には、そうである自分自身を誇る気持ちがある。(2006/6/28)
って言う人はなんでほんとにほんとのことを言うと逆上するのだ。(2006/6/23)
仕事に決まってる。
仕事なくなったらごはん食べていけないけど、彼氏はいなくてもごはん食べられるからな。